アフリカ サラフィー・ジハード
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001 2022/11/02(水) 20:14:40 ID:2FpJDN1zkw
027 2025/06/19(木) 22:10:36 ID:GNv4/.HHf6

紀元前3000年 コンゴ川流域の森林地帯に狩猟採集民が活動していたことがエジプト王朝の記録
紀元1世紀ごろまでににバントゥー語系話者が鉄器と農耕を持ち込みコンゴ川流域に定住
5世紀ごろバナナが東南アジアから伝わり人口増加、10世紀ごろには初期的な国家が形成された
15世紀ごろコンゴ王国成立
ポルトガル人との接触が始まった15世紀末の前に全盛期を迎え、王のもとには総督を務める王宮長官、最高裁判所判事、警察長官、報道官などの役人が置かれ、人口は400~500万に達し、ポルトガルの当時の200万という人口に比べても大きな数字で、接触したポルトガル人にはヨーロッパの国家と同じように見え驚嘆した。が実際には国王の権力は神聖な王として諸勢力の連合の親族的・宗教的な権威として位置付けられており、分権的で流動的であった。国王はキリスト教を受容した上で、黒人奴隷貿易を行う。
コンゴ川中流から上流にかけての地域はヨーロッパ人が立ち入ることはなく、長く未知の地域となった。1874年に探検したスタンリーによって報告されるまで「暗黒大陸」というイメージで語られることになる
19世紀に衰退し、コンゴ川左岸はベルギー(レオポルド2世)、右岸はフランスの殖民地となる。
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