東トルキスタン(新疆)


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001 2019/12/06(金) 01:51:01 ID:f0iuKwpKC.
ウイグルの民が住む。中共
による侵略を受けている。

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※省略されてます すべて表示...
014 2021/04/18(日) 16:19:18 ID:2gDNaxtDOI
バイデン氏に従うことは、アメリカの不正選挙を認めたことになります。! バイデン氏に不正選挙の事実を認めさせ、退陣に追
い込み、ドナルド・トランプ氏のアメリカ大統領復活に全力を傾けるべきです!

【日米首脳会談】台湾「心から歓迎し感謝」 2021.4.17 16:49 国際 中国・台湾 日米首脳会談
 【台北=矢板明夫】菅義偉首相とバイデン米大統領による日米首脳会談の共同声明に「台湾海峡の平和と安定の重要性」が明記
されたことに対し、台湾の外交部(外務省に相当)は17日、「心から歓迎し感謝する」との声明を発表した。
 さらに、「私たちは日米と同じく自由、民主主義、人権の尊重などの価値観を重視している」と指摘。「理念が近い国と緊密に協力し、インド太平洋地
域の平和と安定、繁栄を共に守っていく」と強調した。
 中国の軍事脅威に直接さらされている台湾の蔡英文政権にとり、日米が一致して台湾支持を表だって表明した会談は追い風だ。台湾のテレビやネットメ
ディアは、17日早朝から日米首脳会談の動きを詳しく伝えた。共同声明に「台湾海峡の平和と安定の重要性」が盛り込まれたことが確認されると、一斉
に速報し、高い関心を示した。
 台湾の与党、民主進歩党の関係者は「共同声明で台湾海峡に言及すると日米のメディアが事前に伝えたが、文面を見るまでは安心できなかった。中国は
それを阻止するために水面下で働きかけたことも想像していた。日米両国の関係者に感謝したい」と話した。
https://www.sankei.com/world/news/210417/wor210417002...

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015 2021/04/18(日) 16:23:17 ID:2gDNaxtDOI
大丈夫だ!日本には「日米安保反対論者」の私を、盲目的に崇拝している「櫻井よしこ」というばあさんがいるからな!

【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】「日米安保破棄」に備えよ 2019.7.1  07:28 国際 米州
 第一の発言は、20カ国・地域(G20)首脳会議で大阪入りする直前の6月24日、ブルームバーグ通信が報じた。トランプ氏
と会話した3人の人物の話として、トランプ氏が「日米安全保障条約は不平等」「米国は日本防衛の義務を負うが、日本にはその必
要がない」とし、「日米安保条約を破棄する可能性」に言及したとの内容だ。
 第二の発言は2日後、米FOXビジネスの電話取材に応じた際のものだ。
 「世界のほとんど全ての国々のアメリカ利用はすさまじい。日本も同じだ。日本とは条約があり、日本が攻撃されれば、われわれは第三次世界大戦を戦う。
日本を守り、命を、大事なものを犠牲にして戦う。しかし、われわれが攻撃されても、日本はわれわれを助ける必要がない。彼らは攻撃をソニー製のテレビ
で見るだけだ」
 第三の発言はG20後の記者会見でだった。日米安保条約破棄の可能性を問われ、「全くない、ただ、日米安保は不公平だ」と語った。公式には「破棄」
は否定するが、内々には破棄に言及する。氏はツイッターでも日本は自国の安全保障にもっと努力すべきだと発信してきた。
https://www.sankei.com/world/news/190701/wor190701000...

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016 2022/02/10(木) 08:21:01 ID:Ul7apMK3TQ
天安門事件で孤立した中共は国際社会を
欺いて復帰したがもう騙される者はない。

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017 2022/02/10(木) 08:23:12 ID:Ul7apMK3TQ
>>14-15 は同一ID 五毛党の荒らしである。

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018 2022/12/22(木) 12:39:50 ID:r46LwYiRtg
019 2022/12/22(木) 13:02:49 ID:r46LwYiRtg
シルクロード
玄奘三蔵がインドで勉学を終え戻ってきたルートで
https://www.kaze-travel.co.jp/blog/silkroad_kiji077.htm...

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020 2022/12/22(木) 14:08:53 ID:r46LwYiRtg
13世紀後半、帝国はモンゴル皇帝による全土支配の時代から、徐々にモンゴル皇帝を盟主としジョチ家、チャガタイ家、オゴデイ家、フレグ家のような各地の主要王族を頂点とする諸ウルスの連合による緩やかな「連邦」化が進んで行った。このうち、クビライはモンゴル皇帝直轄の中核国家の国号を大元大モンゴル国と改称するが、その後も皇帝を頂点とする帝国はある程度の繋がりを有した。
 この大連合は14世紀にゆるやかに解体に向かうが、モンゴル帝国の皇帝位は1634年の北元滅亡まで存続した。
また、チンギス・カンの末裔を称する王家たちは実に20世紀に至るまで、中央ユーラシアの各地に君臨し続けることになる。→チンギス統原理

ジョチ・ウルス → 一般にキプチャク・ハン国(後世の歴史研究呼称)の名で知られる国とほぼ同じものである。
チャガタイ・ハン国 → ティムール朝(中央アジアからイランにかけての地域を支配したイスラム王朝
フレグ・ウルス(イルハン朝)今のイランを中心に、アムダリヤ川からイラク、アナトリア東部までを支配したモンゴル帝国を構成する地方政権

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021 2022/12/22(木) 14:30:16 ID:r46LwYiRtg
ジュンガル・ホンタイジ国 
は、17世紀から18世紀にかけて現在のジュンガル盆地を中心とする地域に遊牧民オイラトが築き上げた遊牧帝国
ソ連のズラートキンが著した『ジュンガル・ハン国史』(露: История Джунгарского ханства、1964年)を始めとして、ジュンガルの国をハン国(汗国)あるいはハーン国とする例が多いが、これは誤りで、ジュンガルの部族長の称号は「ホンタイジ」であり、「ハーン」ではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%...

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022 2022/12/22(木) 14:44:33 ID:r46LwYiRtg
トルキスタン
は、今日テュルク系民族が居住する中央アジアの地域を指す歴史的な名称。

東トルキスタン≒新疆ウイグル自治区
西トルキスタン≒トルクメニスタン・ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン・タジキスタン

#要するに、突厥は匈奴に呑まれて露助と支那により東西で分割した、という事かね?

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023 2022/12/22(木) 14:47:13 ID:r46LwYiRtg
024 2023/02/18(土) 07:40:01 ID:Ncz9i9i4DA
未解決の深刻な人権問題

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025 2023/02/23(木) 10:50:00 ID:t8zrK8JmBM
[YouTubeで再生]
テュルク評議会 に東トルキスタンは入れないのか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%...

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026 2023/03/18(土) 11:34:16 ID:uBWOyhqkYk
去年イスタンブールで

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027 2023/08/31(木) 13:36:16 ID:zzHNbyh8M2
中国の核実験
毛沢東はアメリカによる日本への原子爆弾投下に魅了され・・・
1964年10月16日、東京オリンピックの開催中に初の中国核兵器(コードネーム596)が核爆発に成功した。中国の最初の原爆実験となった。
新疆ウイグル自治区ではロプノール核実験場の付近を中心に、1964年から1996年まで46回の中国による核実験が行われており、放射能汚染による地域住民の健康状態や、農作物への被害が指摘され・・・

セミパラチンスク核実験場は、旧ソビエト連邦のかつての主要な核実験場
旧ソ連初の核実験(1949年8月29日)から、ソビエト連邦の崩壊に伴う閉鎖(1991年8月29日)まで合計456回の核実験に使用された。
1963年大気圏での核実験を禁止する核実験禁止条約(PTBT)が締結され米英ソは部分協定に署名したが、核兵器開発で遅れをとった中国はこの条約に加盟しなかった。
包括的核実験禁止条約(CTBT)は核実験による核爆発を禁止する条約で1996年9月10日、国際連合総会によって採択
地下核実験は地表面下の様々な深度で行われる核実験で核爆発が完全に地中で収束した場合には、放射性降下物は殆ど発生しない
核物質が臨界(持続的に核分裂が起こり、熱や放射性物質が発生する現象)に達する前にデータを取り実験は終了する。
が、臨界の制御に失敗するリスクがあり爆発につながる可能性を孕み・・・

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028 2023/09/08(金) 03:47:58 ID:sxFTlMbL2w
石原慎太郎氏が言ってた。『昔、東トルキスタンという国があり、ある日、中国人がやって来て墓を建てて行った。その後、また別の中国人がやって来て、「アイヤー!これは中国の墓ある!ここは中国だったあるよ!」と言い出して、東トルキスタンは侵略された。日本をそうしちゃいけない!』
その通り🤔
https://twitter.com/amisweetheart/status/169929641...

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029 2023/12/15(金) 17:16:26 ID:sLHxvv9hvg
[YouTubeで再生]
>>20 チンギス・カンによって建国されたモンゴル帝国は本宗家にあたる大元ウルスの許で緩やかな連合体となりユーラシア大陸はパクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)と言うべき空前の平和と繁栄を享受することになる。しかし、それも14世紀の半ばに入ると地球規模の天災(ペスト)により帝国は崩壊の道を進んでいくことになる。
 中央アジア・トルキスタンを支配したチャガタイ・ウルスでは、東部のモグリスターンの草原で遊牧を送る勢力と西部のマー・ワラー・アンナフルで定住生活を送る勢力との間で深刻な亀裂が起きていた。前者は「モグール」、後者は「チャガタイ」と自らを呼んで互いに罵り合っていた。
結果、1340年に東西に分裂する。
西チャガタイ・ハン国は1346年にカザン・ハンがカズガンによって殺害され、以後は有力なアミールが傀儡のハーンを有しながら互いに争う事態になった。東チャガタイ・ハン国(モグーリスタン・ハン国)ではイミル・ホージャの落胤とも言われるトゥグルク・ティムールが実権を握り、1360年にはマー・ワラー・アンナフルに軍を進めてチャガタイ・ウルスを再統一する。そのトゥグルク・ティムールの許で急速に台頭してきたのがティムールであった。

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030 2023/12/15(金) 17:28:33 ID:sLHxvv9hvg
東西に分裂していたチャガタイ=ハン国は統合して一時勢いを盛り返し、中央アジアに進出した。その軍に従軍していたのがモンゴル=トルコ系の部族出身のティムールであった。ティムールは、チャガタイ=ハン国の内紛に乗じて、チャガタイ=ハン国のハンの一族の一人フセインの軍を破り、フセインを殺害してマー=ワラー=アンナフル唯一最高の実力者であることをクリルタイで承認された。1370年に中央アジア(アム川以北の地、マー=ワラー=アンナフル)にティムール朝を建国、自らアミール(イスラーム教の指導者の意味)を称し、イスラーム教スンナ派を奉じた。「ただしティムールは、自らがチンギス=ハン家の出身者ではないことを考え、名目的なハーンの位には、ソユルガトミッシュというチンギス=ハーン家の一王子を擁立し、自らはチンギス=ハーンの血をひく一女性をめとって、ハーン家の女婿(キュレゲン)としての立場に身をおくことで満足した。これは、チンギス=ハーン家の血を重んずる遊牧民たちの支持を得るためにとられた方策である。そしてこの時以降、ティムールは終生ハーンを称さず、常にアミール・ティムール・キュレゲン、・・・とよばれるが、それは”チンギス=ハーン家の女婿、遊牧貴族ティムール”・・・を意味する雅号である。かつてチンギス=ハンによって破壊されたサマルカンドを復興させ、都とした。ティムールはチンギス=ハンの子孫と称し、その事業を再現することをかかげ、たびたび自らが軍隊を率いて遠征を行った。

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031 2023/12/15(金) 17:40:03 ID:sLHxvv9hvg
まず1380年にはイランに侵入してイスファハーンを占領、すでに衰えていたイル=ハン国を吸収し、イラン高原に支配領域を広げた。さらに北西に向かい、ロシアに入り旧キプチャク=ハン国(ゾロタヤ=オルダと呼ばれていた)の都サライを略奪してその領域も併合した。

1398年、ティムールは方向を転じて南方に向かい、インドに侵入しトゥグルク朝の都デリーを襲撃した。偶像崇拝の異教徒(ヒンドゥー教徒)を甘やかしているインドのムスリム王権に鉄槌を下すという大義名分を掲げていたが、狙いは「インドの富」にあり、同年12月17日にデリー郊外でトゥグルク朝スルタンのマフムードの軍を一蹴して翌日デリーを占領、その時捕虜約10万を足手まといとして虐殺した。デリーで破壊と略奪をほしいままにし、わずか15日間とどまっただけで、翌年1月1日に膨大な戦利品と多数の捕虜を連行してサマルカンドに向かった。このときサマルカンドに連行された多数の職人・技術者はサマルカンドのビビハニム=モスク(金曜モスク)の造営に充てられた。https://bbs58.meiwasuisan.com/world/1388270635/06...

1400年にはシリアに侵攻してアレッポ、ダマスクスを破壊、次いで小アジアに入ってオスマン帝国のバヤジット1世を1402年にアンカラの戦いで破った。オスマン帝国は一方でバルカン半島に進出していたが、この敗北によって、一時その勢いがそがれることとなった。

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032 2023/12/15(金) 17:45:30 ID:sLHxvv9hvg
ティムールが出現して西アジアの大半を征服したのと同じ頃、東アジアに登場したのが朱元璋(太祖洪武帝)であった。ティムールは明が元を滅ぼしモンゴルを北辺に追いやったことに対し復讐を宣言し、その明で太祖洪武帝が死に、靖難の役の内乱が勃発したことを好機と捕らえ、アンカラの戦いから転じて20万の大軍を東に向け、1404年にパミール高原を越えて進軍させた。そのままいけばモンゴル帝国の再現をめざすティムールと中華帝国の建設をめざす永楽帝という英雄同士の戦いとなるところであったが、ティムールは途中のオトラルで1405年2月18日に病死(異常な寒さをしのぐため酒を飲み過ぎたためといわれる)し、対決は実現しなかった。その墓所は現在のサマルカンドの中心部のグリ=アミール廟として残されている。

 現在、ティムールはトルコ系民族の英雄として、特にソ連滅亡後独立したウズベキスタン共和国では国民統合の象徴とされ、タシケント、サマルカンド、生まれ故郷のシャリサーブズに銅像が建てられ、その遺跡が復興されている。

ティムール(1336 - 1405)の征服戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%...

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