朝鮮人民共和国
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001 2018/04/27(金) 21:05:09 ID:IFb9tnQejM
朝鮮人民共和国は、大日本帝国が大東亜戦争に関するポツダム宣言の受諾を宣言(玉音放送)した後、
朝鮮総督府から朝鮮の行政権を移譲されて1945年9月6日から短期間存在した臨時政府である。
国家の承認、政府承認をした国や外交関係を樹立した国もないため、大韓民国臨時政府と同様に国際法上の「国家」とは言えない。
だが、朝鮮人民共和国の地方組織である人民委員会は、ソ連軍が占領した北朝鮮(北緯38度線以北)地域で存続し続け、
後の北朝鮮人民委員会、更には朝鮮民主主義人民共和国の礎となっていった。
日本のポツダム宣言受諾後、朝鮮総督府政務総監の遠藤柳作は日本統治終了以後の朝鮮半島が無政府状態に陥るのを恐れ、
民衆保護のため朝鮮人による政府樹立を、人望のあった政治活動家呂運亨に要請した。
呂は8月15日、ただちに朝鮮建国準備委員会(建準)を設置し、朝鮮総督府から行政権の事実上の移譲を受けることになり、
翌月の9月6日には建国宣言を行った。発表された閣僚名簿には金日成と李承晩が含まれていた。
その後
9月8日、朝鮮半島に上陸した連合国軍(実質的にアメリカ軍)は臨時政府を認知せず、アメリカ軍政庁を設置した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%...
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064 2025/08/17(日) 15:44:49 ID:roXHtTCNjY

国連臨時朝鮮委員会(UNTCOK=United Nations Temporary Commission on Korea)
UNTCOK ;韓国語: 유엔한국임시위원단 ;漢字: 国連韓國臨時委員團) は、1948 年 5 月に 米国統治下の韓国で選挙を監督した機関でした。
第二次世界大戦終結後、朝鮮半島は大日本帝国の植民地支配から解放された後、北はソ連民政局、南はアメリカ軍政局に分割された。両政府設立に関する当初の合意では、両政府は最終的に朝鮮半島から撤退することを意図していた。
1947年11月14日、国連総会決議112号の可決により委員会が設立された。その任務は「自由で開かれた選挙を監督し、占領軍の撤退を支援し、新しい政治体制を完全な独立に導くこと」であった
当初、委員会には9カ国の代表が含まれていたが、オーストラリア、カナダ、シリアは、韓国で個別選挙を実施するという米国の計画を支持しなかった。韓国の政治家、金九と金奎植も朝鮮の分断に反対した。
ソ連支配下の北朝鮮では、この委員会は1945年のモスクワ協定に違反しているとみなされ、承認されなかった。 また、この委員会は国連憲章第32条および第107条に違反したとも主張された。第32条は紛争当事者双方への協議を義務付けているが、北朝鮮と韓国の代表は国連での演説に招かれなかった。さらに、第107条は戦後処理問題に関する国連の管轄権を否定している。
https://en.wikipedia.org/wiki/United_Nations_Temporary_... http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/gendai_note/UNtc...
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