40年後もタイに影を落す大学大量殺戮事件
どんよりしたモンスーン気候の空の下、セリ・シリヌポーンはタマサート大学のサッカー場で学生チームがウォームアップをしているの眺めている。そこは40年前、タイ軍隊と王政を支持する過激派右翼グループが大勢の学生を虐殺した場所である。
他の生存者同様、セリは1976年10月6日の恐怖を忘れることはない。あれは混乱の多いタイ近代史の中においても、異常なまでに残忍な事件だった。
「サッカー場一面に血が広がっていました」。77歳になるセリは、当時の民主化運動弾圧のシーンを回顧する。
「自分がどうやって生き延びたのかよくわかりません。もしかしたら神様が助けてくれたのかもしれません。」
元公務員であるセリは、民主化運動に参加したという理由で2年間投獄された。
政治的弾圧やクーデーターの多いタイの歴史の中で、タマサート大学?血の水曜日事件”はその残忍性が突出している。
当時民主化活動に参加していた学生たちは、一度は国外に追放された独裁者タノーム元首相が、たった3年で帰国の許可をされたことに対し抗議デモを行っていた。
それに対し治安部隊は、王室支持派の過激派右翼グループと共に、学生たちを銃や刃物で攻撃し殺戮した。殺された学生の何人かは木に首から吊るされ見世物にされた。
この無差別殺戮により約3年続いた「つかの間の民主化」は消滅し、その後16年も軍が政権を握る状態が続いた。
事件の後も、政府から学生殺害に関するきちんとした声明は一度たりともされなかった。
以下
https://landofnosmile.blogspot.jp/2016/10/40.htm...
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