日本は集団になると個の意見の違いを圧殺する横暴さが出てくると思う。
知人に巻き込まれてSEALDsの活動に誘われたことがあって
その時に個人の思想や考え方にまで踏み込んできて、全体と同化するよう求められた。
この点とここの考え方には同意できるけど、これは無理。自分は同意できない。みたいな反論をしたら
「な ん で お 前 は 空 気 が 読 め な い ん だ?」
という強い拒否感を含んだ視線を全員で自分に浴びせてくるんだよ。
それで自分を誘った知人は肩身が狭くなったのか?周囲の人らに向かって小声で
「ごめんねー、変な人連れてきちゃったね、申し訳ない」とか言ってるのが聞こえて軽く絶望。
こういうことはカナダやアメリカではありえない。
カナダでは韓国の慰安婦運動やセウォル号の沈没事故への抗議集会のニュースに対して
みんなは「韓国人はクレイジーだ」と言うよ。練習したようにみんなで同じ行動を徹底してる。
みんな意や考え方の違いはないの?顔も見分けがつかないくらい似てるけど意見も同じなの?
ほんとにちゃんと自分で考えて行動してる?裏で誰かに扇動や指揮されてるだけじゃないの?
という怖さや疑問をもってみんなでこれらニュースを見てた。日本社会の違和感もこれに似てる。
哲学ではこの現象を孔子や儒学が原因だと考えるむきもある。
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