独立直後から旧宗主国だったポルトガルに代わって莫大なイギリスの投資を受け、
「老いた母の代わりに金持ちの継母を得た」と表現される程の飛躍的な経済的発展を遂げた。
また、独立直後からウルグアイを巡ってアルゼンチンとシスプラチナ戦争を起こし、
バンダ・オリエンタル(シスプラチナ州)がウルグアイとして独立するなどの失敗もあったが、
それでもウルグアイへの影響力は大きく、
大戦争終結後は植民地時代のウルグアイの領域の大きな部分(ウルグアイ川左岸の東ミシオネスなど)をブラジルに併合することを認めさせた。
1860年代にパラグアイ戦争が勃発すると、親英政策の下にパラグアイを完膚なきまでに破壊し尽くした。
戦争が終わるとパラグアイの領土は一部ブラジルに割譲され、
パラグアイそのものも政治的にブラジルの強い影響に置かれることになった。
その後はリオ・ブランコ[要曖昧さ回避]男爵の尽力などもあり、
ギアナ三国、ベネスエラ、コロンビア、ボリビアなどの周辺国からアマゾンの辺境地を獲得することに躍起となった。
アメリカ合衆国の後ろ盾を得る形で併合されたアマゾンの現アクレ州を巡るボリビアとの争いでは、
アクレ共和国のような傀儡政権が樹立されることもあった。
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