マニラ


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001 2012/03/13(火) 07:56:27 ID:7dX/HKUFPw
4月に行ってくるよ
どこ楽しいの?

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082 2024/11/17(日) 04:18:07 ID:1gKjSc./io
1521マゼラン スペイン入植後に浸透した貨幣経済によって原住民は借金漬
1898アメリカ統治
1946フィリピン独立

米国のフィリピン植民経営
アメリカ合衆国の統治下にあったフィリピンでは、独立を要求する運動が続いていたが、1930年代にアメリカ国内でもフィリピン分離論がおこってきた。その理由は、フィリピンからの安価な砂糖とタバコの輸入がそれぞれ国内産業を圧迫していたこと、低賃金のフィリピン人労働者の流入を労働界が恐れたことなどがあった。
 フィリピンを領有後、植民地と本国内における砂糖産業の競合のゆえに、早くから独立付与を考えている。だが、ミンダナオだけは”未開の野蛮人”の土地で、資本にとっての別天地だった。だから、ミンダナオを米国の恒久的なプランテーションの土地にして、かつて1900年代にイタリアからの移民をアラスカに導入したように、黒人をここへ植民しようなどという議論が1920年代の米国議会で行われている。このようなミンダナオ特殊視は今日までつづいている。
 戦後日本でも台湾でも米国の指導で農地改革が行われたのに、フィリピンでは行われなかった。それは戦前から米国資本がフィリピン地主層と結んでいたから、農地改革をしたくてもできなかった。もっとも、地主に対する農民の不満が共産主義革命にゆきつくことを恐れていた(中国の共産革命がそうだった)米国政府は、何度も農地改革案をつきつけたが、地主層の支配するフィリピン議会でいずれもつぶされている。

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