イラン


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001 2015/03/15(日) 12:15:44 ID:D5wjyiJ1Ww
イラン・イスラム共和国(イラン・イスラムきょうわこく、ペルシア語: ایران Īrān‎)、通称イランは、中東のイスラム共和制国家。
ペルシア、ペルシャともいう。
北にアゼルバイジャン、アルメニア、トルクメニスタン、東にパキスタン、アフガニスタン、西にトルコ、イラクと境を接する。
またペルシア湾をはさんでクウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦に面する。
首都はテヘラン, 日本との時差=−5.5時間。
1979年のルーホッラー・ホメイニー師によるイラン・イスラーム革命により、
宗教上の最高指導者が国の最高権力を持つイスラム共和制を樹立しており、シーア派イスラームが国教である。
世界有数の石油の産出地でもある。革命以前はアメリカと特別な関係であった事で知られている。

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029 2023/09/10(日) 12:26:46 ID:iclo5qWNuw
平和が一番

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030 2023/10/28(土) 11:34:02 ID:XA7WUsdnsw
映画監督です。

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031 2023/11/13(月) 19:34:35 ID:gCoMwdme76
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>>28
パーレビ朝下のイランは脱イスラーム化と世俗主義による近代化政策を取り続けてきた。
1963年に農地改革、森林国有化、国営企業の民営化、婦人参政権、識字率の向上などを盛り込んだ「白色革命」を宣言し、上からの近代改革を推し進めたが、宗教勢力や保守勢力の反発を招いた。

イラン・イラク戦争1980~1988
この戦争はイスラム教内のシーア派とスンナ派の歴史的対立や、アラブとペルシアの歴史的な対立の構図を現代に復活させたといえる。また、イスラム革命に対する周辺国と欧米の干渉戦争と捉えることもできる。
 親米で君主制を行っていたパーレビー王朝による白色革命や古代アケメネス朝ペルシア帝国を称えるイラン建国二千五百年祭典の世俗性を批判していたホメイニーの指導下、周辺のスンニ派のアラブ諸国とは異なる政治体制「イスラム共和制」を敷き、宗派だけでなくて世俗主義や君主制でも相容れないアラブ諸国の警戒感を強めたが、イラン国内の混乱が増し、保守派の粛清のために軍事系統にも乱れがあると見られ、敵対する周辺国にとっては好機であった。

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032 2023/11/13(月) 19:43:46 ID:gCoMwdme76
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1979年在イランアメリカ大使館人質事件
パーレビ元皇帝とその家族、側近らはカイロに亡命した後、モロッコやバハマ、メキシコを転々とし、メキシコ滞在中、「癌の治療」という名目でアメリカへの入国(事実上の亡命)しかしこれに対しイランの革命政権は激怒し、アメリカ政府に抗議すると同時に、テヘランのアメリカ大使館前では毎日のように反米デモが行われるようになっていた。大使館の敷地には次々に学生と暴徒たちが侵入し・・・

 一方、イラクでは1979年当時大統領に就任したサッダーム・フセインは、第四次中東戦争の英雄から一転イスラエルとの和平により、前年1978年のバグダッドでの首脳会議によってアラブ連盟を追われた、エジプトのアンワル・アッ=サーダート大統領に代わってアラブの盟主となって、古代メソポタミア文明の栄光を蘇らせる野望を抱き、アラブ帝国の再興を掲げるイラク・バアス党を反対派の粛清で掌握して独裁を確立した。石油危機で高価になった原油の輸出で得た潤沢な資金を投じた積極的な軍備拡張でイラクは中東最大・世界第四位の軍事大国となり、自らがパーレビー王朝と結んでいたアルジェ協定 (1975年・添付動画参照) をテレビの前で破り捨て、イランの重要な油田地帯でかつてメソポタミアからの侵略を何度も受けていたフーゼスターン州を「アラビースターン」と呼んでアラブ領土の失地回復という大義名分でイラク領への編入を目論んだ。

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033 2023/11/13(月) 20:03:37 ID:gCoMwdme76
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イランアメリカ大使館人質事件によって両国の関係は決定的に悪化した。
イラン・イラク戦争ではスカッドの標的となり、度重なる空襲もあり甚大な被害を出した。同時にテヘランには難民が集まり、混乱をきたした。ソ連式の集合住宅が無計画に作られ、テヘランはさらに歴史的建造物を失った。

1986年イラン・コントラ事件(添付動画)
は、米レーガン政権が、レバノンでシーア派テロリスト集団に捕らえられているアメリカ人の解放を目的としてイランと裏取引をした上に、アメリカ国家安全保障会議から同国へ武器を売却し、さらにその代金をニカラグアの反共右派ゲリラ「コントラ」の援助に流用していた事件。
 1985年8月に、アメリカ軍の兵士らがレバノン(内戦中)での活動中、イスラム教シーア派系過激派であるヒズボラに拘束され、人質となってしまった。
人質を救出する為、共和党のロナルド・レーガン政権率いるアメリカ政府は、ヒズボラの後ろ盾であるイランと非公式ルートで接触し、イラン・イラク戦争でイラクと戦っていたものの劣勢であったイランに対し、極秘裏に武器を輸出する事を約束した。この様な状況下でのイランへの武器の輸出の提案は、ヒズボラおよび西欧諸国での爆弾テロを支援したグループに対する影響力を持つイランの歓心を買った。

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034 2023/11/22(水) 01:27:50 ID:i3mNCtrrM.
>>23 ダイナミックなイラン高原の歴史 
西アジア全域を支配したアケメネス朝ペルシアの繁栄、そしてゾロアスター教に代表される文化を生み出したことなど独自の歴史を形成してきたが、イラン高原は歴史上、アレクサンドロス大王による征服と、イスラーム教アラブ人の征服、さらにモンゴルの征服という三度の大きな外来勢力の支配を受け、それらの文化の影響を受けている。そのダイナミックな歴史がまた独自のイラン文化を生み出してきた。
○古代イラン諸王朝:エラム → メディア → アケメネス朝 → アレクサンドロス帝国 → セレウコス朝 → パルティア → ササン朝 
○イスラーム化以後:イスラーム帝国 → アッバース朝 → ブワイフ朝 → セルジューク朝 → イル=ハン国 → ティムール帝国 → サファヴィー朝 → カージャール朝 → パフレヴィー朝 → イラン=イスラーム共和国(現在)
https://bbs58.meiwasuisan.com/world/1531005573/023...

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035 2023/12/15(金) 18:34:23 ID:sLHxvv9hvg
>>23 フレグ・ウルス https://bbs58.meiwasuisan.com/world/1575597061/02...
フラグの西アジア遠征で1258年にバクダードを占領してアッバース朝を滅ぼした段階では本国のモンケ=ハンは健在であったがその後急死し1260年にフビライとアルクブケがともにハン位についた知らせを受けフラグがカラコルム帰還をあきらめて西アジアにウルス(国家)を建設することを決意したことをもってイル=ハン国成立年とする。フラグはカラコルムに向かう一方、部下のキトブカにさらに南下を命じ、キトブカは同年中にダマスクスを攻略し、さらにエジプト進出をめざしたが、マムルーク朝のバイバルスとのアインジャールートの戦いに敗れ、モンゴル軍の西アジアでの侵攻はとまった。フラグの次はその子アバガが第2代ハンとなり、1270年にチャガタイ=ハン国のバラクがホラーサーン地方に侵攻したのを撃退して、ウルスとしての地位を確固たるものにした。その後現在のイランを中心に、イラク、シリアを支配し、エジプトを本拠とするマムルーク朝と対立した。https://bbs58.meiwasuisan.com/world/1531005573/03... 1278年には小アジアのルーム=セルジューク朝を属国とした。また北方のキプチャク=ハン国とはアゼルバイジャンの豊かな平原やコーカサス地方の領有をめぐって対立した。そのような国際情勢のもとで、アルグン=ハンはラッバン=ソウマというネストリウス派キリスト教徒を、ビザンツ帝国、フランス、イギリス、ローマ教皇のもとに派遣している。その後もイル=ハン国のハンはたびたびローマ教皇やフランス王に使節を送っている。

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036 2023/12/18(月) 10:44:40 ID:IJsN3003js
イル=ハン国はモンゴル人の支配する地域に主としてイラン人が居住しイラン人にとっては異民族支配を受けることとなったが、イラン人は高い文化的伝統を持っていたので文化的には次第にイラン化が進み、第7代のガザン=ハンの時1295年イスラーム教(スンナ派)に改宗した。ガザン=ハンはイラン人宰相ラシード=アッディーンを登用しイラン化を進めイラン=イスラーム文化を開花させることとなった。チンギス=ハンによる建国からすでに90年が経過し広大な世界帝国を形成したモンゴル人であったが、とくにフラグの大遠征によってイランの地にやってきて定着したイル=ハン国の支配者は自分たちの歴史や東方の元との関係などについてわからなくなり始めていた。そこでガザン=ハンはモンゴル帝国の歴史を明らかにしてその自覚を高め同時にフラグの子孫としての自己の支配の正当性を明らかにしようと考えラシード=アッディーンに歴史の編纂を命じるとともに自らも口述させたのが『集史』である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%8F%B...
 1335年第9代のアブー=サイードが宮廷内で皇后に殺害されるという事件が起きフラグの血統が途絶えた。有力集団はそれぞれ継承権を主張して争い1353年にはトルコ=モンゴル系やイラン系の地方政権が各地に割拠抗争するようになって事実上国家としての統合は失われた。15世紀にはティムール朝 https://bbs58.meiwasuisan.com/world/1575597061/03...  に吸収されるがイスラーム化したモンゴル人の一部はイラン高原やアフガニスタンの草原地帯で遊牧生活を続け現在もアフガニスタンではハザラ人と言われ少数派を形成している。

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037 2023/12/19(火) 07:02:26 ID:oh1KGgm2oU
>>23 サファヴィー朝(1501年 - 1736年) シーア派の十二イマーム派を国教とした。
イスマーイール1世 イラン西部のアゼルバイジャン地方に起こった神秘主義教団サファヴィー教団の長となり、トルコ系遊牧民(トルクメン人)を軍事力に組織(キジルバシュ)して有力となった。1501年、イラン人の国家であるサファヴィー朝を興し、イラン人の王を意味するシャーの称号を用いた。ティムール朝 https://bbs58.meiwasuisan.com/world/1575597061/030-03... の衰退に乗じ、そのイランを中心とした西アジアの版図を引き継いだ。

サファヴィー教団とは14世紀前半にカスピ海西南岸のアゼルバイジャン地方のアルデビールで、シャイフ=サフィー=アッディーンが始めた教団で、その名にちなんでサファヴィーという。はじめはスンナ派であったが、この地域はシーア派が多かったので次第にシーア派の神秘主義教団となり政治集団化していった。民族的にはクルド系であったようだがアゼルバイジャンはトルコ系住民が多くサファヴィー勢力もトルコ化し、キジルバシュという騎馬部隊を組織し軍事力を高めた。

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038 2023/12/19(火) 07:20:47 ID:oh1KGgm2oU
サファヴィー朝は、16世紀末から17世紀初頭のアッバース1世の頃、全盛期となりその新都イスファハーンは「世界の半分」と言われる繁栄を誇った。しかし、このころからポルトガルなどヨーロッパ人の勢力が西アジアに及び始めた。サファヴィー朝はアッバース1世没後、シャーは政治を顧みずハーレムにこもり、アル中になる者もあらわれ、宦官が実権を握るようになった。18世紀にサファヴィー朝が衰退、シーア派信仰強制に反発したアフガニスタン人の反乱や侵攻が起こる。アフガン人ギルザイ族のマフムードはイラン王を称してスンナ派政権を樹立した。スンナ派の抑圧を避けるために、シーア派聖職者はオスマン帝国領のナジャフやカルバラーに移った(現在のイラクにシーア派が存在するのはこのためである)。アフガン人のイラン支配は全土には及ばず、サファヴィー朝の後継者タフマースプ2世を擁して抵抗を続けた。1726年、オスマン帝国が介入してイランに侵入し、同じスンナ派であることからアフガン人との間で和議を結びイランを分割支配することとなった。

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039 2023/12/19(火) 07:47:11 ID:oh1KGgm2oU
チャルディランの戦い
1514年アナトリア高原東部のチャルディランの野で、セリム1世のオスマン帝国軍と、イスマーイール1世>>37のサファヴィー朝軍が激突した戦い。結果的にはオスマン軍のイェニチェリ軍団が鉄砲などの新しい武器を利用し、サファヴィー朝のキジルバシュ(トルコ系遊牧民からなる騎兵部隊)の突撃を食い止め、オスマン軍の勝利となった。イェニチェリの鉄砲隊とキジルバシュの騎兵の闘い  小アジアまで遠征してきたサファヴィー軍の将軍は兵力も少数であるので、オスマン軍の布陣が終わる前の奇襲を提案したが、イスマーイール1世は「王と王の戦い」でメンツを重んじ、奇襲を避け敵の布陣を待って攻撃するという正攻法をとったため、火器の威力の前に勝機を逸したと言われる。この戦いでサファヴィー朝の西進はくい止められ、鉄砲という新しい武器の前でキジルバジというトルコ系騎兵に依存する軍事力の限界が示された。その後もシリア、イラクをめぐってオスマン帝国とサファヴィー朝は攻防を繰り返すこととなる。またこの戦いは、イェニチェリ軍団の鉄砲が威力を発揮した戦いとしても重要である。鉄砲は日本では1575年の長篠の戦いで織田信長が武田の騎馬部隊を破り、さらに1594年のオランダ独立戦争でヨーロッパでも組織的に使用されるようになり17世紀の三十年戦争で一般化するが、それに先立つ例となった。

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040 2024/04/14(日) 11:34:31 ID:9pYLfzuHhA
【テヘラン=福冨隼太郎、イスタンブール=渡辺夏奈】イラン革命防衛隊は13日夜、イスラエルに向けてドローン(無人機)やミサイルを発射したと発表した。
国営イラン通信は14日未明、イラン側が弾道ミサイルの第1波をイスラエルに向けて発射したと伝えた。
イランがイスラエル本土を攻撃するのは初めて。

米CNNテレビはイランがイスラエルに向けて発射したドローン(無人機)を米軍が迎撃したと報じた。

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041 2024/05/01(水) 23:50:35 ID:b72h./W1TQ
ペルシア語というのはイランの公用語であり、漢字で表すと波斯語はしごと書きます。所謂、アラビア文字を使用していますが、アラビア語とは似て非なる言葉であります。何故なら、アラビア語はヘブライ語と同じセム・ハム族なのに対し、ペルシア語は印欧語族(インド・ヨーロッパ語族)であります。つまり、ペルシア語はアラビア文字を使いながらもドイツ語や英語、ロシア語と同じ印欧語族に属しています。
また、アラビア語で使わない文字があり、それらは4つあります。とここまで書くと難しいように見えるが、取得はアラビア語より簡単です。その理由も説明しましょう。
1.性の名詞が存在しない。
2.語順が日本語と同じ。
3.発音が耳に残る。
この3つがペルシア語の特徴です。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883010474/epis...
発音が耳に残る点について説明しよう。例えば駅に当たるاىستگاهは読みにするとイーストガーヘと読み発音からして耳に残る。次に大学に当たるدانشگاهは読みにするとダーナシュガーヘになり、妙な格好良さも出てくる。ペルシア語の場合、「あ」や「か」に当たる列が伸びるのも特徴であり、それらも相まって凄く耳に残ってしまう。

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042 2024/09/21(土) 10:41:48 ID:zgVniQxz1Y
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【イラン】“停戦交渉失敗ならイスラエルを攻撃” ロイター報道

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043 2024/09/29(日) 14:27:30 ID:QbPzDh7b6k
創価を見れば宗教が政治に口出しすることは犯罪であるとわかる。
よって創価学会は直ちに解散しなくてはならない。

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044 2024/10/19(土) 08:58:14 ID:gk.nLJC4IU
そろそろ反撃ある

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045 2025/01/19(日) 12:24:53 ID:OZjAusMJ1w
[YouTubeで再生]
【速報】イランがイスラエルに向けて弾道ミサイルを発射|TBS NEWS DIG

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046 2025/02/09(日) 17:45:17 ID:eNBgXCuT6w
イラン初の空母

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047 2025/06/15(日) 14:08:46 ID:cGZdttE1dU
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イスラエルがイラン攻撃 外報部デスク解説「はるかに違うレベル」の事態

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048 2025/06/19(木) 22:22:39 ID:r9UbXJ/qbg
聖書の預言ではロシアとイランとトルコがイスラエルに侵攻。イスラエルが包囲されたら終わりが近づいたのを悟りなさい。
イスラエルに侵攻したロシアとイランとトルコが同時撃ちで全滅する(仲間か敵かわからずロシアvsイランとトルコで撃ちあいをする。そして全滅)
イランとトルコとロシアは核攻撃で国丸ごと消滅。非戦闘員も全員死ぬ

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049 2025/06/19(木) 22:26:09 ID:r9UbXJ/qbg
①イスラエルはユダヤ人が金を出して買った土地であるとキリスト教牧師に教わりました。合法。不毛の土地だったのに頑張って植林して緑豊かな土地に変えました「イスラエル 植林」で検索
アラブがユダヤ人に税金を払えと発言→アラブvsイスラエルの独立戦争→イスラエルが勝利→イスラエル建国
②イスラエルはITと軍事産業が盛んで先進国。米国と欧州と60年~2000年代の日本、香港と並ぶ金持ち国家
イスラエルとアラブの国境沿いにパレスチナ人という①先住民族の難民②金が欲しい活動家③金が欲しいルンペンが集まってきました。キリスト教牧師がパレスチナ人に「どこから来たの?」と質問をするとアラブの別の地域やトルコから来たと答える人がいっぱい。彼らは難民ではなく金が欲しくて金持ち国家イスラエルの国境沿いにやってきたルンペン活動家です。
③キリスト教牧師によると666はローマ帝国の子孫から出てきます。北イタリアは白い肌のイタリア人。南イタリアは褐色の肌のユダヤ人。南イタリアから666が出てくる可能性が高い。
世界統一政府の皇帝666が白い肌だった場合→世界中の有色人種が「また白人かよー白人至上主義にもううんざり。」反発者が続出
アメリカの大統領がアメリカ初の黒人大統領の誕生→世界中の有色人種が大絶賛。大喜び。花火が打ちあがり。みんな大喜び。
世界統一政府の皇帝666褐色の肌だった場合→世界中の有色人種が大絶賛。大喜び。花火が打ちあがり。みんな大喜び。
現在世界中のマスコミが褐色系のパレスチナ人を同情する記事を書いてます。気を付けてください

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050 2025/06/22(日) 11:18:52 ID:iMYTknEAmI
トランプ!

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051 2025/06/28(土) 07:59:20 ID:PqyS6D0aiE
魚拓保存 

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052 2025/10/13(月) 13:50:57 ID:gXk2xRx..E
あげます。

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053 2026/01/20(火) 03:54:46 ID:eWkN2Ifd9g
IRGC(イスラム革命防衛隊)の5つの主要支部
地上軍 約15万人規模の人員
航空宇宙軍 約1.5万人規模
海軍 約2万人規模
クドス(エルサレム)部隊 エリート部隊 人員:約5,000~15,000人と推定 最高指導者に直接報告し、他の正規軍とは独立した指揮系統。多くの国・機関からテロ組織とみなされ、国際指名手配者も多数。
Basij(バシジ:添付画)準軍事的なボランティア民兵組織(動員抵抗軍)常備約9万人、動員可能で数十万~数百万規模 正式名称は「抑圧された人々の動員のための組織」主に貧困層・地方出身の若者・少年(18歳未満も含む)。女性も参加。給与はなく、政府就職優遇、大学入試優遇などの特典で集められ、国内治安維持・弾圧:デモ・抗議活動の鎮圧、道徳警察(ヒジャブ強制など)、街頭パトロール、反対派監視、棍棒、銃器、バイクを使った暴行、眼球狙撃などが報告され、人権団体から深刻な人権侵害として非難されています。

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054 2026/01/20(火) 04:00:28 ID:eWkN2Ifd9g
かつてのシーア派におけるアーシューラー
祭事の自傷行為Tatbir, also called Zanjeer Zani or Qama Zani,
はシーアもスンナもアラブもペルシャもよう知らん頃のザシークやタイガージェットシン的な2000年代のイスラム過激派イメージだけど
その後は「イスラムのイメージを損なう」としてハメネイは禁止
実際に鎖で打つのではなく、手で胸を叩く(マータム)という、より穏やかな哀悼の表現が最も広く行われています

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055 2026/01/25(日) 02:32:49 ID:mpt3TvQ1EU
アーリア人の原初宗教が紀元前1500年~1000年頃、中央アジアから南下する過程で、生活スタイルの違いから二つのグループに分かれ始め、イランに農耕民が定住するゾロアスターが残り、インドに移動する戦士のヴェーダ(後のバラモン~ヒンドゥー)と別れて善悪の捉え方が逆転した。ペルシャはゾロアスターで階級社会だったが、圧倒的多数の下層民は神の前では皆平等のイスラムに改宗して支配層はインドに逃げてパールシーになった

ペルシャ人(イラン系アーリア人)には、ササン朝などの強大な帝国を築いた自負があり、そのため、7世紀にアラビア半島からやってきたアラブ人(当時、彼らの目には「裸足でトカゲを食べる砂漠の民」と映っていました)に征服されたことは、歴史的な屈辱として記憶されています。
文化の優越感: イラン人は、自分たちがイスラム教を受け入れた後も、行政制度や哲学、科学などの知識をアラブ人に教え、イスラム黄金時代を支えたのはペルシャの知性であるという誇りを持っています。

従ってカリフは別にしないとダメなんね

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056 2026/01/25(日) 03:05:04 ID:mpt3TvQ1EU
アラブ人(初期イスラーム教徒)の目から見たペルシャ(ササン朝)は、「圧倒的な富と贅沢に溺れ、信仰を忘れた傲慢な帝国」
砂漠の質素な生活を送っていたアラブ兵にとって、ペルシャの宮廷や都市は想像を絶する豪華さでした。これら過剰な装飾や奢侈(しゃし)を、精神的な強さを失わせる「退廃」の象徴と見なしました。イスラームの教えに基づく「神の下の平等」という価値観を持っていたため、ペルシャの厳格な身分制度を批判的に捉え、 ペルシャの王(シャーハンシャー)が家臣をひれ伏させ、自らを神格化する様子を、アラブ側は「傲慢」と見なし、重税と階級固定に苦しむ民衆に対し、自分たちが「自由」と「平等」をもたらす解放者であるという大義名分(ジハードの正当性)を抱いていました。アラビア語で非アラブ人を指す「アジャム(Ajam)」という言葉は、元々は「言葉が不自由な者(=アラビア語を話せない野蛮人)」という蔑称的なニュアンスを含んでいた一方で、行政組織、建築、医学、農耕技術などについては、ペルシャを「師」として仰ぐ部分もありました。征服後、初期のイスラーム国家(ウマイヤ朝やアッバース朝)は、ペルシャ人の官僚を採用し、その洗練された統治システムをそのまま取り入れ、アッバース朝時代のカリフは、「ペルシャ人は千年の間、我らアラブ人を一度も必要としなかったが、我らは彼らなしでは一日も統治できない」と述べたと伝えられるほど、その文明的能力を高く評価していました 。

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057 2026/01/25(日) 03:07:53 ID:mpt3TvQ1EU
今のアラブ人はしばしば、イラン人が「自分たちの文明はアラブよりも古く、優れている」と見下していると感じています。
「非常に知的で計算高く、外交や商談において油断ならない」というイメージを持たれ、洗練された狡猾さ、ペルシャ絨毯の商人のイメージに象徴されるように、言葉巧みで本音を見せない(タアーロフという特有の礼儀作法も影響)特に保守的なスンニ派アラブ人の間では、イラン人を「マジュース(Majus/Magus)」と呼ぶ蔑称的なステレオタイプが残っておりこれはゾロアスター教の「神官」を指す言葉で、「彼らは表面上はイスラーム教徒だが、根底ではイスラーム以前の古い信仰(火を崇める教え)を捨てていない」という宗教的不信感に基づいています。

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058 2026/02/07(土) 07:25:20 ID:10Xic/nrjc
正倉院宝物の一つササンガラス
6世紀頃のサーサーン朝で制作された白瑠璃碗

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059 2026/02/08(日) 14:49:01 ID:DcGK6ha07c
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【アメリカ】米とイランが高官協議…トランプ大統領「非常に良い協議だった」

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060 2026/03/01(日) 09:43:17 ID:t5Zq7XQ7aI
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