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003 2019/08/04(日) 00:15:23 ID:RUx46LO/WU
1937年の日中戦争(支那事変)勃発以降、中華民国の蒋介石政権に対して行われていた英米などによる軍事援助は、いわゆる 援蒋ルート を通じて行われていた。
特にフランス領インドシナを経由するルート(仏印ルート)は4つの援蒋ルートの中で最大のもので、10月27日、仏領インドシナ政府は中国に対する輸出を禁止したが、密輸は継続されていた。
1938年10月、日本は国境線の封鎖と視察機関の派遣を要求したが、拒否された。
1939年11月に日本はフランス政府と再度交渉を行ったが、これも拒否された。
11月24日、日本軍は仏印と中国の国境に近い南寧を攻略。第21軍参謀長の土橋勇逸少将と仏領インドシナ総督ジョルジュ・カトルーとの会談が行われ
日本は国境封鎖と、南寧の日本軍への補給を求めたが、インドシナ政府は拒否した。以降、雲南鉄道を日本軍が空爆。
1940年5月のナチス侵攻によりフランスが劣勢、6月22日に成立したヴィシー政権は日本と仏印との経済関係強化に合意し、日本軍の仏印進駐となる。
しかし同年9月の日独伊三国同盟と共に、1941年7月の仏印南部への日本軍進駐は、日米関係の決定的決裂をもたらした太平洋戦争への回帰不能点であると評されている

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